いいしま【伊島】空也上人も訪れた、イシマササユリ、国連生物多様性の10年日本委員会認定連携事業、日本の重要湿地500、伊島の伝統漁法「伊島潜り」で海士(アマ)が獲る伊勢エビ、アワビ、バードウォッチングなど!魅力がたくさんです!

     

栗田徳蔵と伊島の器械潜水漁

明治21年、伊島近海で起きた事故による、沈没船の引き上げ作業に活躍した「器械潜水」を目にした「栗田徳蔵(安政5年〜大正9年)」は、その
潜水器を「採貝漁」に活かすことを発案。漁民らとともに潜水器を入手し、独自にその技術を習得しました。その頃、島の経済は深刻な漁業不振と急速
な人口増加により破綻寸前にあり、その危機的状況を打破するために、栗田德蔵をはじめとする漁民集団は、新天地「朝鮮半島」への出漁を決意します。
 朝鮮海域での活躍は目覚ましく、採捕したアワビやナマコを高級食材となる海参(イリコ)や明鮑(メイホウ)などの乾製にして販売するまでに成長。
明治29年には、胎貝(イガイ)の新たな漁場を発見したことで、その繁栄は大正・昭和に至るまで、島の暮らしを支えることになります(栗田徳蔵
らの功績碑は當所神社参道に在ります)

 終戦後は、それまで潜水器が使われていなかった「瀬戸内海」「北九州近海」へと舞台を移し器械潜水漁の有効性を広く知らしめることになりましたが、
”技術の流出”により伊島の潜水夫たちは、その活躍の場を奪われ、多くの潜水夫が湾岸工事、サルベージなどの「潜水工事業者」への転業を余儀なく
されますが、その高い技術と開拓者精神は、その後の日本の高度成長に深く貢献することになりました。